リゾームを描きたい

制作途中の《触覚でめぐる360度》(部分)
制作途中の《触覚でめぐる360度》(部分)

 点字の手紙を読みながら、早く返事を書かなければと思っているところで目が覚めました。点字用紙を半分ぐらいまで読み進めた指先の感覚は、今もはっきり残っています。その手紙は、盲学校理療科時代の友人からでした。でも彼はもうずっと前に自殺していたのです。

 最近、眠りの浅い日々が続いていて、どうせ年齢のせいだろうと諦めてはいるのですが、その対策として何をしているかというと、アガサ・クリスティーのミステリーを聞きながら眠るようにしているのです。でももう20冊ほど制覇すると何か違うものを読みたくなってきます。目覚めるとまた途中から聞きはじめます。タイマーを掛けていますが、たいてい20分ぐらいで寝てしまっているようです。

 

 そんなことをくり返しながら、朝方には深い眠りに入ってしまいます。たぶん彼からの手紙を読んだのは、その深い眠りに入る前のことだったようです。

 なぜ、今頃彼から手紙が届いたのだろう? ぼくの夢分析は続きます。思い当たるのは、哲学者のふりをしたくなったことです。

 半年ぐらい前に有栖川有栖のミステリー『幻想運河』を読んで以来、「リゾーム」というキーワードが気になり始めました。浅田彰ではもの足りず、ジル・ドゥルーズの『千のプラトー』を読み始めたのですが、友人の夢をみたのはその時でした。しょせんぼくは似非哲学者。何度読んでもさっぱり理解できず、10分で眠りに落ちてしまうのです。解説書も読みました。

 リゾームとは地下茎のことらしく、浅田の本に出てくる図版をスタッフにラインテープで描いてもらいました。方向性のあるツリー構造ではなく、中心を持たないインターネットのようなつながり方ということらしいのですが、まだピンと来ません。ツリーならこれまで何枚も描いてきたし、ライブなどでもよく描きます。幹を描いたついでに根っこもしっかり描きます。根っこから伸びる線を枝として左右に延ばします。葉っぱも書くことがあります。それらは、幹がしっかりあるので描きやすいのです。絵の中心が幹だから構図が頭に入りやすいのかもしれません。

 自分なりのリゾームを描いてみるのですが、どうしても納得できません。何本も線が絡まっていればいいというわけではありません。線がかたちを作らず切断して終わる。しかし、その途中で線同士が交差するため、知らない間にかたちが出来ています。意図したかたちではないので、頭の中にはその映像は残っていません。でもその自然なかたちを少しはコントロールして描きたいと思うのです。ラインテープで描いていると釘を打ったときの立体感が伝わってきません。そこで、厚紙を立ち上げて貼り付けてみると、少し立体感のあるかたちが浮かび上がってきました。

 いまアトリエは作品制作の追い込みで忙しくしています。この作品は、長野県立美術館の中にある「アートラボ」というさわって楽しめるコーナーに納める予定です。『触覚でめぐる360度』という4つの箱で構成する作品を作っているのですが、その4つの箱の最後が黒い箱です。この黒い箱の中に配置するのがリゾームです。スタッフに釘打ちの指示をし終わって、出来上がりを待つばかりです。

 さて、いつまでも手紙の中身が思い出せないのは気持が悪いので、無理やり結論を書いてこの話題に決着を着けておきます。点字の手紙を届けてきた彼とは、サルトルや森鴎外などの話をした覚えがあります。ドゥルーズが自殺したのは1995年です。無意識の中でいろんなことが絡まり合ってリゾームになっていたのだろうと結論づけておきます。