中ハシ克シゲさんの触覚彫刻に寄せて(前編)

中ハシ克シゲ『炬燵猫』をさわる Photo: Katayama Tatsuki
中ハシ克シゲ『炬燵猫』をさわる Photo: Katayama Tatsuki

ここ数年、中ハシさんの触覚彫刻についてもやもやしていたのですが、やっと一つの
結論にたどり着いたように思います。

 


〈『触りがいのある犬』はかたちがぼやけていた〉

中ハシさんが、『触りがいのある犬』を兵庫県立美術館の「美術の中のかたち」で発表されたのは、2019年の夏でした。ぼくもその犬をさわりました。少し輪郭がぼやけているなぁ、というのがその当時の感想です。ぼくにはその良さが実感できませんでした。晴眼の彫刻家が、自らの視覚を閉ざして、触覚だけで制作するというのは、いったいどういうことなんだろうという驚きだけが頭の中に残りました。

次いで長野県立美術館の展示では、少し柔らかい素材を使った「老犬」や「赤ちゃん」の作品をさわりました。それらは、いくぶん輪郭がはっきりしてきていて、作家さんが視覚を閉ざすという制作方法に慣れてこられたように感じました。中ハシさん自身から聞いたお話しでは、「視覚的な印象にとらわれてしまうこと」に悩んでおられるようでもありました。

そして、今年2022年アトリエみつしまでの企画展「まなざす身体」には2点の『炬燵猫』を出品していただきました。添えられたコメントには、「もうアイマスクをしなくても触覚に集中して制作できるようになった」と書かれていました。

しかしぼくは、合わせて出品された40年前のブロンズの3つの猫をさわってそのすばらしさに心を動かされました。

なぜでしょう!  こたつの中に寝ている猫は、やはり輪郭がぼやけていて、形としてのおもしろさがぼくには感じられないのでした。


〈見えない人の触覚と見える人の触覚には違いがあるのか〉

何人かの視覚に障害のある人にさわってもらった時の感想もほぼぼくと同じようなものでした。

ぼくの困惑は頂点に達していて、なぜ中ハシさんが作る触覚彫刻をおもしろいと感じることができないのだろう。ひょっとしたら、ぼくがおもしろいと感じている彫刻は、見える人の「視触覚」を学習してしまっていて、本来のさわるおもしろさを感じられなくなっているのではと思い始めました。つまり、見える人の標準的な価値観を受け入れ続けていて、見える人の文化にぼくの感覚まで占領されてしまったのかと慌ててしまったのでした。

さて、中ハシさんの話をくり返し聞く中で、彼の言う触覚は「握手」や「ハグ」のような感覚だと言うことが明らかになってきました。つまり、手のひらや体全体で体感できるような面的な手ざわりや質感だとわかってきました。数年、中ハシさんの触覚彫刻についてもやもやしていたのですが、やっと一つの結論にたどり着いたように思います。

 

(後編につづく)

 

 

◎参考エピソード:アトリエみつしまラジオ

#32 アトリエみつしま企画展「まなざす身体」の出展作家、中ハシ克シゲさん