中ハシ克シゲさんの触覚彫刻に寄せて(後編)

足裏で感じる作品 Photo: SATO Motoi(画像提供:東京都渋谷公園通りギャラリー)
足裏で感じる作品 Photo: SATO Motoi(画像提供:東京都渋谷公園通りギャラリー)

〈身体実験〉

そこでぼくの実験が始まりました。

手のひらからそれぞれの指の第1関節までの部分でさわるという動作を行ってみました。第1関節から爪の裏側ぐらいまでは、点字を読むときなどに一番適している敏感な部分なのですが、それを外して手のひらを中心とした触覚を体験するという実験です。

自分のお腹を、直接肌の上からさわってみました。おへそは、ぼんやりとした凹みとしてしか感じませんでした。それ以外の部分は、ゆるやかな膨らみと柔らかい感覚として捉えられました。

一方、ぼくが普段さわっている指先での認識方法だとおへその輪郭線が明らかとなり、臍の形が丸いのか、細長いのか。深さがどれくらいなのかがわかります。さらにもっと全体をさわって行くと、手のひらでは感じられない筋肉の形や、その中に潜んでいるしこりを確認することができました。

こうした感覚は、点字を指先で読める人や、鍼灸師で触診を心がけている人なら見えるかどうかに関係なく持ち合わせている感覚だろうと思います。


〈二つのさわり方を組み合わせる〉

普段ぼくは、これらの二つのさわり方、手のひらと指先での感覚を使い分けながら日常生活をしています。どちらかと言うと指先重視かもしれません。考えてみると、見える人はもののかたちや奥行きなどをわざわざさわって確認しませんよね。見た方が早いわけですから。一方見えない人は、かたちを認識するために触覚を使っています。かたち+手ざわりで世界を認識していることになります。

このあたりで中ハシさんとのすれ違いがあるように思いました。見える人の触覚は、手のひら感覚だということです。さらに言えば、見えない人の感覚は、指先触覚に占める割合が多いかもしれません。物事を、より正確に識別するためには、その法がより効率的だからです。


〈足裏と手のひら〉

ところでぼくは、最近足裏で感じる作品を作っています。靴を履いたままで感じるものと靴下だけで感じられるものの2つのタイプを制作してみました。足裏については、指先で感じられるような繊細な感覚は必要なさそうです。足裏全体で感じられるようにするには、あまり細かい表現は無意味です。最初は、制作しながら指先で確認したり、実際に足裏で踏んでみたりして実験していましたが、指先で感じられる繊細な感覚はむしろ表現のじゃまになっているようでした。手のひらで感じられる程度で十分なのです。それ以上のものを作ってしまうと指先で確認したくなってしまいます。

今考え直して見ると、これらの足裏作品が中ハシさんの言う触覚彫刻に近いものではないかと思い始めました。ぼくの指先に「指マスク」をして制作すると触覚彫刻ができるのかもしれません。中ハシさんにアイマスクが必要だったように、ぼくには指マスクが必要なのでしょう。指マスクをして、中ハシさんが考案された新しい粘土で制作したくなりました。

ここまで考えを進めてきてやっとぼくが見える人の視触覚に振りまわされてきたのではなく、自らの触覚経験を積み重ねることで自らの感覚をより優れたものに鍛えてきたのだと自信を取り戻せた気持ちになれました。

 

 

◎参考エピソード:アトリエみつしまラジオ

 #35 座談会「見えない人はかたちや映像をどのように認識しているのか」