点字キーホルダーを磨く

4、5センチくらいの大きさで厚みが1センチくらいの木製パーツが10個ほど転がっている。糸のこで切っただけなので、エッジ部分が毛羽立っている。
磨く前の点字キーホルダー用木製パーツ

磨くというのは、アトリエみつしまのオリジナルグッズとして販売中の点字キーホルダーに使う合板の木を磨くということです。直方体のものもあれば変形のものもあります。これらをサンドペーパーを使って手に馴染みやすくするのがぼくの仕事。

 

 

〈板チョコを口に含んで〉


どれぐらい磨けばちょうどいいのかがなかなかわからなかったが、板チョコを口に放り込んで少し溶け始めるぐらいな感じで角や、切り落とした面がなめらかになるぐらいを目標にしています。

現在アトリエみつしま以外でこのグッズを販売しているのは、長野県立美術館のショップだけなのですが、8月5日から始まった「アートラボ2023 第2期『光島貴之展 かたちと手ざわりで行ったり来たり』長野県立美術館)に合わせて追加注文をいただいたのでぼくは、急いで磨く仕事を始めなければならないはずでした。

 


〈頚髄性神経根症〉


ところが、ぼくは5月21日から首の痛みがひどくなり、まだ整形外科に通院中。病名は、「頸髄症性神経根症」です。頸椎の中が狭くなっていて、どこかで神経が圧迫されています。今症状として残っているのが、右内側の特に小指と薬指の痺れです握力としては落ちていないのですが、指先まで包帯を巻いているような感じです。


こうしてキーボードを打っているときも、「p」や「o」などのキーが打ちにくくて、ミスタッチの原因になっています。キーに触れたときの輪郭がぼやけていて、隣のキーとの境界線があいまいです。テーブルに置いている物を移動させるときなども、右手で持ちながら小指側の手の甲あたりでそれとなくテーブルの縁を確認しているのです。普段何気なくやっているので、改めていろんな触覚を使っていることに気が付きました。

この病気の特徴は、顔を上げてまっすぐ前を見る姿勢が一番つらいということで、最初の3週間ぐらいは、首をまっすぐ伸ばせないために横になって寝るのがつらくて椅子に座って机に突っ伏したような姿勢で寝ていました。

 


〈スイーツに頼って〉


鎮痛剤も効能書き通り、6時間経つと決まったように切れてくるので、かなり飲む回数が増えてそれによる副作用として、足がふらついたり長い時間の歩行が不安となり、アトリエに行くのにもタクシーを使っていたこともありました。

 

さて、ぼくだけかもしれませんが、痛みとは不思議なもので甘いものが食べたくなります。ヘルパーさんとコンビニのスイーツのコーナーに行って和から洋菓子まで全部を読み上げてもらいます。そしてそれぞれ3つずつ合計6個ぐらいをまとめ買いしていました。1週間に1度ぐらいと思って買って帰ったものを冷蔵庫に入れるのですが、なぜか2日ぐらいで食べ尽くしてしまうのです。おかげで3kg以上太ってしまい、現在は減量中。

 

甘いものを取り過ぎると痛みに悪いという話もありますよね。でも気持ちとしては、甘いものを食べているときだけ痛みから解放されているような気になるので不思議です。

 


〈うつむく老人〉

 

やっと最近、首や背中の痛みもましになってきました。まっすぐ前を向くことを目標にしてリハビリ中。谷川俊太郎の詩に『うつむく青年』というのがあったと思うのですが、ぼくの場合は、「うつむく老人」ですね。青年ならうつむいていても格好がつくのでしょうが、ぼくの場合は、年老いただけで何のさまにもなりませんよね。

 

 

自慢にしていたエコーロケーション(反響定位)も頭が下がっているとまったくダメです。壁にぶつかるときも頭からいってしまいます。何かを感じているのは顔面なんだと改めて感じました。

磨きの話に戻ります。グッズは小さいものです。手先の小さな動きで磨き上げていくので、やってみるといいリハビリになりました。磨き具合を確かめる人差し指と中指は健在なので精度にも問題ないはずです。

 

2023年夏バージョンとして納品しました。

 


〈不安な痺れ〉


あとは、痺れの回復と体力の復活を祈るばかりです。中途失明の人としゃべっていると視力が落ちてきたり、視野が狭くなっていくことにすごく不安を感じておられます。ぼくが失明したのは7歳から10歳ぐらいにかけて少しずつだったので、見えなくなる不安を感じたことはありませんでした。

 

 

ところが今回は、小指、薬指だけではなく、中指の半分ぐらいまで痺れがひろがってくることがあります。そういうときには、この痺れがどこまで進行するのだろうとかなり不安になります。いずれ年老いていろんな所が痺れてきたり、筋力も落ちてくるわけでしょうが、心のどこかではまだそれには早いだろうという望みも捨てられずにいます。